今年は戦争終結の日から60年目を迎えようとしている。私もその仲間に入るのだが、当時、少年であった人々は、いま高齢期を迎えている。 高齢者の施設で晩年を送られている人も少なくないだろう。サレジオ学園の初期の卒園生の方々も、高齢前期に入られているはずだ。卒園生の皆様、 とりわけ高齢者の方々のご健康をお祈りいたします。
  終戦の頃、たくさんの戦災少年が、東京をはじめ各地から学園に集まっていた。巷に傷病兵、戦災孤児が溢れていた時代である。 国全体が困窮の中にあった。その中で外国人宣教師たちは、米軍の援助や保護もあり、比較的安定した生活を送っていたようだ。だが一歩、 外に出れば焼け跡に暮らす人々の生活、ホームの片隅で眠る子どもたちの姿が目に入る。この悲惨な光景は、サレジオ会員の良心に問いかける「時の印」であった。 こんな小さな子どもたちが、家を失い、親から離れ、飢えと寒さに凍え、さまよっているのに、自分たちが楽な生活をしていてよいのだろうか。 サレジオ学園は、この良心の呵責から生まれたといってよいだろう。タシナリ神父は、神学校を出て町に向かった。子どもたちの悲しみを背負い、 彼らを慰め、彼らに生きる力を与えるために……。

  サレジオ会の活動の原点は、北イタリアのトリノ市で、ドン・ボスコが始めた「子どもたちの家」にある。ドン・ボスコと母マルゲリータが、 集まってきた「家なき子ら」の世話をした。すべてが貧しかった。しかし一つのことがあった。お互いの愛と信頼が、この貧しい家に漲っていた。 やがて極度の疲労でドン・ボスコが倒れたとき、子どもたちは、いのちと引き換えにドン・ボスコの回復を神に祈ったといわれている。ドン・ボスコが、 最後の息を引き取るその瞬間まで、子どもたちのために生きようと固く心に誓ったのは、この子どもたちの真心を知ったときであった。