この一年日本でも世界でも大きな出来事、例えば新潟県中越地震、スマトラ島沖地震そして大津波、例年にないほどの多くの台風による 被害、河川の氾濫、誘拐や学校での痛ましい事件など実に多くのことがあった。これに政治の出来事を加えれば、昔であれば実に何年もの間 の出来事の数にあたる。一つひとつを書き出せばこの紙面では書ききれない。何故こんなに多くの出来事に私たちは反応させられているのだろうか。 そして現代の多くの反応は劇症的である。まさに薬品同士の化学反応である。大人の世界も子どもの世界もその様相は直接的で本能を超えて欲望的でさえある。 そしてそれに対する反応も対抗もまた、直接的で力による管理、そして制圧である。
  この現象はここ児童養護の世界にも起こりつつある。学園にいる子どもたちを見る目は疑いの目、非難の目が多く、 人々はこの子どもたちが大人たちの社会の申し子であることに余り気づいていないか気づきたくない。 現在の子どもの世界の現象が自分たちの生活している身近なところから来ているということに、自分の家庭や身近なところに起こりうる ということに気づいていない。だから自分の意に反するものを簡単に管理し、隔離して安心している。自分たちは関係ないと……。

  2005年の2月23日の新聞に皇太子の記事が載った。ドロシー・ロー・ノルトという教育学者の「子ども」という一文の紹介である。 この文章で特徴的なことは「……子どもは……おぼえる」という述べ方である。つまり子どもは大人の心をその姿を覚えるものだと言うことである。 きっと大人もこのことを良くわかっている。しかし子どもの成長を待っていられないのだ。大人たちは自分たちが設定した時間に縛られて 強迫神経症的になっているのだ。子どもたちの時間は長く、大人たちの時間は短い。大人たちは自分が子どもであったときを忘れているのだろうか。