晴れの日もあれば、雨の日もある。それが自然の摂理なのだが、どうしても私たちは「悪い天気」を恨みがちだ。甚大な台風被害を被ったり冷夏で凶作に見舞われたりしながらも、めまぐるしく変わる日本の四季が豊かな情緒を育んでいった事実も見逃せないのではなかろうか。梅雨空も台風の季節も、けっして捨てたものではない。
  最近、子どもたちの朝の登校の見守りのため、横断歩道で黄色い旗を持って立っている。ある子が「ねえ、それって何? 当たったの?」と声をかけてきた。よくよく旗を見ると「横断中」の脇に小さな文字で「宝くじ」と書いてあって思わず苦笑した。
  近ごろの子どもたちの傘は明るくカラフルなものが多い。少しでも雨の日を楽しくという親御さんたちの心遣いなのだろう。3、4人固まって歩けば、花壇の寄せ植えのように華やかだ。一人ひとり違っていてこそ良い。違ったものが寄り添いお互いを引き立て合い、より美しくなる。これこそ私たちが忘れてはならないことではないだろうか。
  昨今、児童養護施設の在り方についての議論がにわかに活発になってきた。子どもたち一人ひとりを大切に育てるという観点からいえば、たしかに小単位が望ましい。
  多くの児童養護施設は、それぞれ掲げる設立の理念を大切に守りながら今日に至っている。小規模化、家庭的養護の利点を十分に理解した上で、個々の施設の理念に沿った独自の形態があってもよいだろう。単一な形態、単一な思考に性急に飛びつくことのへ危惧もある。小規模施設にしかできないこともあれば、大規模施設でしか学べないこともあるのだ。
  梅雨空に咲く子どもたちのカラフルな傘の花々を眺めながら、そんなことを思った。

「神はまた言われた、『地は青草と、種を持つ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ果樹とを地の上に生えさせよ』。そのようになった。地は青草と、種類にしたがって種を持つ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ木とを生えさせた。神は見て良しとされた。夕となり、また朝となった。第三日目である」。
(創世記 第1章11節~13節)
 
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