東京サレジオ学園は1946年に戦争や病気などで家や親を失った子どもたちのためにイタリア人のサレジオ会宣教師タシナリ神父によって始められました。
現在、幼児から20歳まで約100名の子どもたちが本園8つ、地域のグループホーム5つの計13の園舎(家)で生活しています。
予期できない災害や事故、親の離婚や病気、また不適切な養育を受けている等、子どもの入所理由は様々ですが、それぞれの理由で家庭による養育が困難な子どもたち一人ひとりを大切にすることを心がけています。
日頃より東京都や小平市をはじめ、学校関係、福祉・医療機関、地域の方々やボランティアの方々など多くの皆様より、深い理解と適切なご指導・ご援助を頂いております。
おかげさまで、学園で職員と一緒に生活する子どもたちは、明るく元気に暮らしております。
東京サレジオ学園では、サレジオ会の創立者ドン・ボスコが理想とした「子どもたちが愛されていると感じられる関わり」を土台に、社会と調和して生活する事を目指して、日々養育に取り組んでおります。
このたび皆様に学園の内容をいろいろな面でお知り頂きたく、ホームページを公開させて頂きました。
今後ともご指導・ご鞭撻をお願い申し上げます。
東京サレジオ学園 園長 田村 寛

養護理念
I. | 本園は児童憲章の精神に則り、児童の基本的人権と人間の尊厳及び価値を確認しそれを擁護するものである。 |
Ⅱ. | 本園はドン・ボスコが理想とした神への信仰に基づいた養護、即ち福音的価値の追求、心の触れあい、道理に適った生き方を通じて、児童をキリストにおいて示された完全な人間の姿に至るまで導く事を目指す。 |
Ⅲ. | 本園は児童自らが職員と児童、児童同士の愛と信頼の関係に根差した交わりの生活のなかで個別的・集団的指導によって、さまざまの心理的・社会的障害を克復し、成熟した人格に到達できるように最大限の援助を与える。 |
事業目的
東京サレジオ学園は家に恵まれぬ児童を受け入れ、
ドン・ボスコの精神に基づいて、
暖かい家庭的な雰囲気と美しい環境の中で、
児童の知性を磨き、意志を鍛え、感性を陶冶し、
その人格の成熟をはかり、
もってかれらの社会的自立への道を
準備することを目的とする。

ドン・ボスコについて
東京サレジオ学園の設立母体であるサレジオ会の創立者は、聖ドン・ボスコ(ヨハネ・ボスコ)です。
ヨハネ・ボスコは、1815年8月16日北イタリアのトリノ市近くのベッキという農村に生まれました。「ドン」はイタリア語で「神父」を意味し、親しみを込めて「ドン・ボスコ」と呼ばれています。
当時のイタリアの政治は不安定で、イタリア統一運動によって教会と政府の関係が大きく揺れ動き、産業革命の波によって社会全体に大きな変革をもたらし、若者たちは教育どころか劣悪な環境の中で過酷な労働を強いられていました。
ドン・ボスコは、この状況から若者を救い誠実な社会人として自立させるために1841年12月8日、トリノで「オラトリオ」という新しいスタイルの教育事業を始めました。


ドン・ボスコの魅力にひかれて、わずか1年で数百名の生徒が集まるようになりました。
彼自身が若者の拠りどころとなり、オラトリオは運動場、夜間学校、仲間作りと祈りの場となっていき、有志の人々の協力を得て、やがて寮、職業学校、普通科学校などが併設されていきました。
ドン・ボスコは、助けを必要とするさらに多くの青少年のために事業を発展させたいと考えました。
そして、教え子たち自身がドン・ボスコと共に働きたいという心を育み、ドン・ボスコのように青少年に人生をかける誓いを立てました。
神と人々のために生きる道を、共同体として歩み始めたのです。
ドン・ボスコは、柔和で愛情深い聖人である聖フランシスコ・サレジオを手本として選び、このグループに「サレジオ会」という名をつけました。
1859年12月18日、これがサレジオ会の始まりでした。
「君たちと一緒にいること、これが私の人生だ」と言っていたように、彼はどんな若者も心から愛し、明るく、快活で、情熱にあふれた人でした。
カトリック教会はドン・ボスコの聖徳をたたえて聖人とし、「若者の父」「カトリック教育の師」と呼んでいます。
彼の精神を引き継ぎ今も世界中に広がる会員によって、教会や教育・福祉事業など様々な場所を通して若者の必要性に応え続けています。
(参考資料 サレジオ会日本管区ホームページ)
法人概要
経営主体 | 社会福祉法人東京サレジオ学園 |
本部所在地 | 〒187-0021 東京都小平市上水南町4-7-1 |
TEL | 042-321-0412 |
FAX | 042-324-1160 |
事業開始 | 昭和21年4月28日 |
種別 | 児童養護施設 |
定員 | 98名 |
土地 | (本園)63,170.48平方メートル (地域小規模児童養護施設)516.00平方メートル |
建物 | (本園)8,805.07平方メートル (地域小規模児童養護施設)251.13平方メートル |
学園沿革
1946年(昭和21年)~
1946年4月(昭和21年) | 東京都練馬区高松町旧陸軍成増飛行場の兵舎を利用して開設 レナト・タシナリ神父が初代園長に就任 |
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1947年2月(昭和22年) | 東京サレジオ学園小学校設置許可を受ける |
1947年5月(昭和22年) | 東京都小平市の現在地に移転 |
1948年1月(昭和23年) | 児童福祉法による養護施設の許可を受ける |
1948年3月(昭和23年) | 東京サレジオ学園中学校設置の許可を受ける |
1948年5月(昭和23年) | 財団法人東京サレジオ学園設立の許可を受ける |
1949年3月(昭和24年) | 初代園長レナト・タシナリ神父が退任 |
1951年3月(昭和26年) | 学校法人東京サレジオ学園設立の許可を受ける |
1952年5月(昭和27年) | 財団法人より社会福祉法人へ組織変更をする |
1954年3月(昭和29年) | 新園舎落成 |
1956年4月(昭和31年) | 定員を250名に変更 |
1966年4月(昭和41年) | 定員を200名に変更 |
1982年4月(昭和57年) | 定員を175名に変更 |
1983年4月(昭和58年) | 定員を165名に変更 |
1984年4月(昭和59年) | 定員を150名に変更 |
1986年4月(昭和61年) | 園舎移転改築事業 第1期工事竣工(園舎1棟) |
1987年5月(昭和62年) | 第2期工事竣工(管理棟・職員宿舎・厨房棟・園舎6棟) |
1988年10月(昭和63年) | 第3期工事竣工(地域交流ホーム・ドン・ボスコ記念堂) |
1989年(平成元年)~
1989年4月(平成元年) | 定員を140名に変更 |
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1990年3月(平成2年) | 体育館竣工 |
1993年4月(平成5年) | 定員を130名に変更 |
2006年3月(平成18年) | 定員を100名に変更 国分寺市に地域小規模児童養護施設(樅の舎)開設(定員6名) |
2009年6月(平成21年) | 本園敷地内に再チャレンジホーム(胡桃舎)開設(定員6名) 定員を106名に変更 |
2010年4月(平成22年) | ショートステイ事業開始(小平市・国分寺市・東村山市) |
2012年3月(平成24年) | 再チャレンジホーム(胡桃舎)東京都のモデル事業終了につき小規模グループケアに移行する |
2012年5月(平成24年) | ドン・ボスコの舎を櫟(くぬぎ)の舎と改称する |
2015年4月(平成27年) | 定員を105名に変更 |
2017年4月(平成29年) | 小平市に地域小規模児童養護施設(楓の舎)開設(定員6名) 定員を107名に変更 |
2018年3月(平成30年) | 譲葉舎を閉鎖 地域支援センターと改称 |
2018年4月(平成30年) | 定員を97名に変更 |
2020年(令和2年)~
2020年7月(令和2年) | 地域支援センターにて、地域公益活動として「子育てひろば」を開始 |
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2021年8月(令和3年) | 稲城市に地域小規模児童養護施設(欅の舎)開設(定員6名) 定員を98名に変更 |
2022年4月(令和4年) | 稲城市に地域小規模児童養護施設(銀杏舎)開設 地域小規模児童養護施設(樅の舎)改修のため一時閉鎖 |
2023年4月(令和5年) | 地域小規模児童養護施設(樅の舎)改修完了 事業再開(定員6名) 小平市に地域小規模児童養護施設(桜の舎/さくらのいえ)開設(定員6名) 本園定員を68名に変更(全体定員は98名で変わらず) ショートステイ事業開始(稲城市) |
2024年4月(令和6年) | 小平市に地域小規模児童養護施設(椿の舎/つばきのいえ)開設(定員5名) 本園定員を63名に変更(全体定員は98名で変わらず) |